• 福山ぶらり歴史紀行

通盛神社(みちもり神社)

広島県福山市沼隈町

睦まじき夫婦の座す深奥の杜。

風に揺れる赤い紙垂(しで)。滅びゆくものの哀れと同時に平家の凛とした誇り高さを感じ、しばしその赤に見入ってしまう。
ここは沼隈平家谷の最奥部。静謐に満ちたその場所は、意外にも恋を語るにふさわしい場所でもある。
通盛神社は、その名が示す通り平通盛をお祀りした神社だ。創建は建久三年(一一九二)、現在地より南へ二〇〇メートル「喜勢(きせい)」の地にあったが、度重なる水害から守るため、江戸時代に今の場所へ遷宮された。社殿は明和六年(一七六九)に再建されている。御神体は束帯姿の通盛と帽子に介取姿小宰相局の木像だという。
通盛は平教盛の嫡男。宮中一の美女と評判の小宰相にひと目ぼれし猛アタック。たいそう仲睦まじい夫婦であったという。しかし源氏に追われ西海へと都落ちし、最後は道盛は湊川で討死にし、その知らせを聞いた小宰相は悲嘆にくれ、屋島の海に身を投げた。
最後まで寄り添い続けた二人が祀られた神社で、恋の成就を願うもよし、冷えた夫婦関係を見直すのもいいのではないだろうか。思わずそっと互いの指先をからめたくなる、そういう雰囲気を持った場所である。

通盛神社の境内には、あちこちで揚葉蝶の紋と赤い紙垂が見られる。その昔、旧暦八月十三日の祭礼には、海戦で命を落とした平氏の魂が宿る「平家蟹」が、能登原から山を越え、参拝にきたと語り継がれている。

通盛神社が元あった「喜勢」の地は、源平能登原合戦の折り、能登原から山越えしてきた一行と八日谷から逃れてきた一行が出会った場所で、再会を喜び気勢をあげたことから名付けられた。今は、古宮跡と呼ばれ、花しょうぶ園の中にある。花しょうぶ園からつばき園まで続く道は、古くは、能登原へ続く旧道であった。

通盛の従者たちのものとされる五つの苔むした自然石。

通盛神社の駐車場は左へ。右手前にしょうぶ園の駐車場あり。

PAGE TOP