• 福山ぶらり歴史紀行

安国寺地蔵堂

広島県福山市鞆町

690年間鞆を見守り続けた優しきまなざし

戦国時代、足利義昭が御座所とした鞆の浦。「麒麟がくる」で全国的に「鞆幕府」が知られることになった。室町幕府最後の将軍足利義昭は鞆で終焉を迎えるが、初代の足利尊氏もまた鞆で挙兵した。「足利氏鞆に興り鞆に滅ぶ」と言われるゆえんである。

その足利尊氏が南北朝動乱の戦没者を弔うために国ごとに一寺一塔(安国寺・利生塔)を建てた。備後安国寺は歴応二年(1339)の建立とされているが、もともとは法燈国師が開山した「金宝寺」(文永10年(1273)に仏堂建立)が前身である。

鎌倉時代の金宝寺仏堂が継承された安国寺釈迦堂、その前の参道に堂宇が立っている。安置されているのは鎌倉末期元徳二年(1330)造立の石造地蔵菩薩坐像である。2m余りの堂々とした石仏の、なめらかで丸みを帯びた造形は、慈愛に満ち、手を合わせる者の心をすくいあげてくれるようだ。

この地蔵菩薩は、藤原貞氏なる者が健在である両親の福寿を祈って逆修法事を修し、供養仏として造立したものである。願主である藤原貞氏が大変な富裕層であったことがわかる。また逆修石塔の造立は鎌倉時代にはまだ多くなかったという。

地蔵菩薩は、町の片隅で、今も願主の願いをかなえ続けているのだろうか、それともその役目を終え、衆生を救うために優しきまなざしを向け続けているのだろうか。鞆のもつ歴史の重みは計り知れない。

国の重要美術品に指定されている石造地蔵菩薩坐像。舟形光背の丸彫りの石像が蓮華座に乗っている。肩から結跏趺坐した下部への流れるような曲線が美しい。

備後安国寺地蔵堂。

正面に見えるのが備後安国寺釈迦堂(国重文)

釈迦堂に安置されている木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(文永十一年(1274)造立)と木造法燈国師座像(建治元年(1275)造立)(いずれも国重文、現在両脇侍は修復中)

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