福山市沼隈町能登原

永代茶接待碑

移動手段は徒歩のみ、そこにある思いやり。

幕末~明治、藤江村の富豪山路家が6月・7月の2カ月間、沼隈の峠道を行き来する通行人に茶の接待を始め、その場所に碑を建てた。そのひとつがグリーンライン沿いにある永代茶接待碑である。

グリーンラインの一番南にある小さな展望台、少し北に新しい展望台もでき、今では立寄る人は少ないのではないだろうか。展望台というより駐車スペースと言った方がいいような場所の隅に二基の石碑が立っている。

ここには、かつて能登原から鞆の焚場に通じる往還があった。現在はその道は使われておらず、この接待碑のみがかつての峠の証しである。

「永代六月七月茶摂待」「文政十一年始天保三年六月建立」とあり、茶接待は文政11年から始まったことがわかる。

人馬が汗水たらして峠を往来した時代、その労苦と共にあったのは、人々の慈しみと善意であった。碑の「永代」の二文字は車社会の現代人に何を語りかけるだろう。

茶接待は公共事業に尽力した七代目山路機谷が始めたとされているが、文政11年当時、機谷は十二歳。発願主は「藤江岡本内松兵衛」とあるので、岡本(山路家の屋号)家の番頭である松兵衛が建てたものとみられる。右は旅人の安全を願って建立された「南無阿弥陀仏」の名号碑。こちらは文政十一年五月建立。前には「休足」と刻された休み石がある。旅人はこの石に腰かけて休んだのであろう。

永代茶接待碑のある場所の反対側の道端に設置された案内板。道路を跨ぐので見る時は注意が必要。

ここからは鞆の浦や燧灘(ひうちなだ)が一望できる。