福山市若松町

水野勝成墓

畏敬の地は、370年経てもなお、静謐に佇む。

築城400年の今年、福山城や水野勝成ゆかりの地を訪ねる人も多いだろう。水野勝成墓もそのひとつである。高さ5メートルを超える巨大な五輪塔は、県の史跡でもある。

意外に知られていないのが、勝成墓が移転しているということだ。

もともとは賢忠寺本堂裏から一直線に勝成墓に参道が延びていた。参道の両側には200基の石灯籠が整然と並び背後には泉水庭園が広がっていたという。

勝成の五輪塔の右手には数馬(4代勝種長男)左手には忠重(勝成父)成貞(勝成三男)が並んでいた。その背後に3代勝貞の五輪塔が西向きに建っていた。右手の少し奥まった場所には4代勝種の墓所。

山陽本線が敷設された時、勝成墓への参道と燈籠は撤去され、水野家墓域は石垣上に土塁を巡らし周囲は囲われ、東側と南側に入口が設けられた。さらに昭和32年に道路の拡幅に伴い、勝成墓を中心にした数馬から成貞の墓は全く同じ並びで、現在地に移転した。

本来なら賢忠寺本堂から静々と墓参していたのだろうが、今や庭園どころか道路からいきなり墓参である。少々情緒には欠けるが、400年後の福山の発展に、勝成公も案外ご満悦かもしれない。墓所を訪れた際には、五輪塔の立派さに感嘆するのみでなく、400年前に始まった福山とその来し方にも思いを馳せてほしい。この先も永き福山の繁栄を願う。

慶安4年(1651)没、水野勝成五輪塔。かつては参道に200基の灯籠が並んでいたかと思うと壮観である。右側の四代勝種の墓所には100基の灯籠があったという。

勝成らの墓があった場所には記念碑が建てられている。移転の際には、墓の中から骨壷の他に茶碗や皿が発掘された。

南側入口。当初は入口は東側のみで東の水野公園は墓前緑地帯と考えられていた。

なぜ3代勝貞の墓のみが西向き(福山城方面)に向いているのか、明快な答えは今もない。