福山市鞆町

金宝寺仏殿・安国寺釈迦堂

いざ、鎌倉時代へ。

鎌倉時代は北条政権真っ只中、八代執権北条時宗の頃、安定した武士の時代となった。潮待ちの港として万葉の時代から栄えていた鞆の浦も、源平の世を経て、穏やかな世の中で再び華やかさを増していったことだろう。

文永十年(1273)に、ある仏殿が建立された。開山は法燈国師、寺の名は金宝寺である。翌年には本尊である善光寺式阿弥陀三尊像が造像された。さらにその翌年には法燈国師の木像が造像される。

時は流れ南北朝時代、足利尊氏が国ごとに安国寺を建立していったが、備後国安国寺は暦応2年(1339)に金宝寺に置かれたのだ。金宝寺は安国寺釈迦堂となり、その裏手に本堂が建立された。そして金宝寺は歴史の狭間に消されていった。

大正九年(1920)に本堂が出火、その時に本堂にあった法燈国師像は釈迦堂に移され難を逃れたが、本堂は全焼。奇しくも室町時代の建物がなくなり、鎌倉時代の建物と本尊が残ることになった。しかし安国寺前身としての金宝寺の存在が明らかになったのは昭和時代の初めなのである。

鎌倉時代の荘園や守護所など、その遺構を目にすることはほとんどないが、鞆の浦には鎌倉時代の建造物や造立物が、町の風景にひっそりと融け込んでいる。

鎌倉時代に流行したと言われる善光寺式阿弥陀三尊像、金宝寺の本尊だった。積木像としては日本最大の大きさ。手前にあるのが金宝寺を開山した木造法燈国師座像。いずれも鎌倉時代で国重文。

金宝寺仏殿であり、安国寺釈迦堂。創建は鎌倉時代。国の重文。

参道から見た安国寺釈迦堂。金宝寺は七堂伽藍の大きな寺で山門の前には海が開けており、船を直接乗りつけることができたという。しかし山門、法堂の建立、伽藍配置などは判明していない。

安国寺本堂跡から釈迦堂(裏手)を望む。