• 福山ぶらり歴史紀行

岡本池(福山市金江町)

岡本池

水面に映るのは 青い空と希望の輝き。

藁江村の三つの池(防地池・梅之木鞘池・楠木池)は、藁江・金見・柳津の三つの村の田を潤していた。しかし江戸後期には、晴天が続くと三つの池だけでは水不足に悩むようになった。そのため藤江村の山路家六代目の右衛門七重敏(山路機谷の父)と番頭の松兵衛が相談し、文化十五年(1818)岡本家の私財を投じて、この池を造った。池の広さは一百四十三畝(約1・4ヘクタール)で、以後干害も少なくなり、村人は喜び、山路家の屋号から岡本池と名付けたという。  全国に二十万箇所存在するため池。そのほとんどは西日本にあるといい、全国のため池の七割ほどが、江戸時代かそれ以前に築造されたものとされる。古来、ため池は農業のライフラインであり、水量不足は死活問題であった。水不足が続けば、各地で水争いがおこる。  勝成も入封当時、干拓とため池築造には力を入れている。それでも長い時を経て、収穫量も人口も増えていき、水不足は常の課題であった。  江戸時代、土地の人々の生活を守るために築造された岡本池。そして昭和時代、地域の発展のために造成された農免道路。志を持ち、そのために尽力するリーダーがこの地に居たということである。そういう傑物が輩出される土地柄なのか、そういう時代であったのだろうか。

平成16年~21年にかけて行われた改修工事により、今も美しい風景を描く岡本池。写真は南側の堤から中ノ島を望む。池の東西の道筋はかつての往還であった。池から南へは梅之木鞘池と楠木池の西側を通って行く。「農免道路」ができるまでは、この道が利用されていた。現在は池の周囲に散策道が通り、文化15年の文字が刻まれた弁財天が祀られている中ノ島にも橋が架かっている。

岡本池碑。文政元年(1818)に菅茶山の撰文ならびに書による碑文。改修工事前は高さ180cmあったが、現在は下の方は文字がぎりぎり見える程度まで埋まっている。

 

昭和47年の「農免道路記念碑」は大きく目を引く。すぐそばに「前田一恵顕彰碑」がある。氏は農免道路建設の中心的人物で、私財を投げ出し用地の確保に当ったという。

 

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