• 福山ぶらり歴史紀行

沖の観音

広島県尾道市浦崎町

水野時代の美しき海べの 風景を想う

沼隈半島の西端に突き出した浦崎は現在尾道市だが、かつては福山藩領であった。福山藩水野家とも縁が深い。浦崎新開の長い堤防、これを最初に築いたのが水野氏だ。そして、この堤防の北側に広大な新田を干拓した。築堤に携わった水野家家臣の六人の名前は今もこの地に刻まれている。

堤防の先には常夜灯と四ツ堂があり、さらに海を左手に見ながら海沿いの道を行く。二つ目の石波止を過ぎると、急に海は開け、目の前にぽつんと小島が浮かんでいる。頂きのお堂は見事に島と一体化しており、凛としたたたずまいである。一幅の絵を見るような、そういう感覚を江戸時代の人々も抱いたことだろう。

一説によれば、海老地区の猟師が建立し、水野勝俊が再建、その後安政年間に新田地区の信者によって再建されたという。『福山志料』には「海老ノ沖地方ヨリ少シ離シ小キシマ汐干ル時ハカチニテ渡ル只今村ニテ沖ノ観音ト云堂ハ水野候建立ト云」とあり、干潮の時は徒歩で渡れ今は沖の観音と呼ばれる堂は水野公が建立した、ということだ。

堤防は寛永年間から寛文年間に築造されているので、工事の無事を祈念して勝俊が建立、あるいは再建したのは納得いく話である。それから四〇〇年近く地域の人々に厚く信仰されてきたのだろう。

今は海に映える小島の美しさに魅かれ訪れる人が多いという。

岸からほんの100mほど先に位置する沖の観音。干潮時には徒歩で渡れる。

観音様を祀るお堂まで石段がついているのがわかる。厚く信仰され、大切に守られてきたことがうかがえる。

四ツ堂下から東方向へ堤防を望む。昭和26年に補強工事が行われ、頑健になった。

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