広島県府中市出口町

出口通り

商いの声も賑やかに往時の繁栄を偲ぶ

穏やかな陽光を浴び、爽やかな風を頬に受けながら、ゆらゆらといつまでも歩いていたい風景がある。

石見銀山から福山へと続く石州道。府中の出口村は、石州道が中国山地を越え平野部に出たところにあることから名付けられたという。それはまた福山藩からの出口でもあった。

阿部福山藩時代には、出口村に口留番所がおかれた。実際の藩境はもっと北側であるが、ここで人や物資の出入りを監視したのである。藩内には藩境や交通の要所などにそれぞれ口留番所があったが、出口通りほど往時の風情を残している場所は他にあるまい。

中国山地の深山を越え、やっと辿りついた平地に旅行者はおおいに人心地ついたに違いない。通りの両側には商いの店が並び、北からは炭や薪、材木などの物質が運びこまれ、出口通りから府中の中心部にかけておおいに賑わったことだろう。

狭い道幅の両側に迫るように軒が連なる。江戸時代はどのような商いの声が聞こえてきたのか。想像しながら歩くのも楽しい。

出口通り南端。手前に道しるべがある。かつては丁字になっており、道しるべによると、北は上下・小畑 石州道、西は市邑・甲山道、東は福山・上方道とある。当時は写真右手に木戸があり、夜間は閂を差し込み閉じて通行の規制をしていたので、この場所は「かんぬき」と呼ばれていた。木戸から東がかつての府中市村のメーンストリートである。

連子格子に黒漆喰、虫籠(むしこ)窓、石州道の面影を残る建物が多い。うだつのある家もあり、商い町としての繁栄が偲ばれる。

番所跡の石垣から続く脇道。多くの人が近道として使っていたという。

出口通りの北端。左側の駐車場が茶屋跡である。山越えしてきた人たちがここで一服したのだろう。その向こうに番所跡が続く。