広島県福山市御幸町

正戸山

備後の国人 宮氏と昭和天皇をつなぐ憩いの場

まるで平野の中に浮かぶ小島のような正戸山。宮氏の居城として語られる一方、昭和天皇の縁の地としても記憶されている。

正戸山城は山城としての遺構はほとんど残らないが、山上から神辺平野を一望できる。宮一族が備後の覇権をどう思い描いていたのか、昭和天皇がどんな演習を望まれたのか。今は遥かに続く家並みに遠い昔日の様子を胸に描くばかりだが、戦国時代の荒々しさや戦時下の緊迫感がふと胸の奥からあふれてくる。

時は南北朝時代、足利尊氏が備後国守護とした岩松頼宥は正戸山城に拠った。一方、足利直義が備後国守護として下向させたのが上杉顕能。観応2年(1351)8月、顕能・宮盛重らが正戸山城を攻めたが、備後の国人の救援もあり持ちこたえることができたという。戦国時代末期には、宮正味父子の居城となった正戸山城であるが、毛利方に攻められ落城する。戦国時代に幾度となく戦場となった正戸山城。江戸時代には古城として語りつがれた。そして昭和時代、この山城跡において、昭和五年(1930)昭和天皇が陸軍特別大演習を統監された。

春浅き正戸山、うららかに陽光は照り、穏やかに桜の季節を待っている。先人たちが刻んだ歴史の重さも、今は軽やかな憩いの場となっている。

南側から見た正戸山。麓には石州街道が通り、地理的にも重要な地であった。

山上にたつ「御統監之跡」記念碑。春には桜が咲き誇る。

東の登り口から登ると、昭和天皇が登られるために作られた道に合流し、その途中に吹雪号から下馬された場所には「御下馬跡」の碑がある。

正戸山の南にあるコミュニティ広場。