広島県福山市駅家町

須佐能表神社(スサノオ神社)

疫病から村人を救ってくれた神様が座す神社

県道から狭い道へ入るとすぐに参道入口がある。坂道を進んでいくと、石鳥居、その先に石段が続く。拝殿まで上りきって振り返ると法成寺の町並が一望できる。戦国時代は、万能倉や倉光まで遥かに田園が広がっていたのだろう。
時は戦国の始め、長享二年(1488)。銀閣寺が完成する前年である。この地で疫病が大流行した折り、安那郡西法成寺村の村人が疫病退散を願い、品治郡戸手村の祇園牛頭天王社(現在の戸手の素盞嗚神社)に日参すると、たちまち疫病が止んだ。その恩恵を後々まで忘れぬために、分霊を勧請し、この地に祀り、以来、村社として崇敬したという。
明治七年に東法成寺村と西法成寺が合併、明治四十四年には西法成寺の十六の神社が須佐能表神社に合祀され、今に至る。明治の改変にあっても、地域の人たちにとっては氏神様であることに変わりなかった。疫病から五〇〇年以上経った今でも、地域の人々を守ってくれているに違いない。戸手の天王さんの夏祭りは中止になったが、この夏は各地域のスサノオ神社に疫病退散を願ってお参りしてみるのもいいのではないか。

石鳥居の下から見上げた須佐能表神社。石段の向こうには拝殿が見える。

須佐能表神社本殿。

拝殿内に掲げられた合祀十六社。

すぐ近くには「門田屋敷」がある。江戸時代に大庄屋を務めた門田家の屋敷跡。屋敷内から平安時代の古瓦が出土し、「岡の御堂」と呼ばれる事から古代寺院跡とも考えられている。