• 福山ぶらり歴史紀行

深草神社

広島県福山市御幸町下岩成

水野氏の抱き沢瀉を頂く氏神様。

元和五年(1619)水野勝成が入封した当時、この地は沼地が広がっており、勝成はたびたび狩りに訪れていたという。領内の巡視もよく行っており、下岩成の「宗岡」に休憩や宿泊するための茶屋が設けられた。この地は中世の頃には宗岡氏の城館があった場所で、宗岡氏は神辺合戦で大敗を喫しこの地を去り以来、地名のみが残っていた。宗岡茶屋の場所ははっきりしていないが、深草神社の辺りではないかという説がある。やがてこの地の新田開発が進み穀倉地帯になっていくと、次第に茶屋は利用されなくなった。

一方、明暦元年(1655)に「投石」で一枚の鏡が見つかった。表に「深草大明神」、裏に「大己貫神」と銘があったため、これを祭るため社殿が建てられた。元禄十年(1697)に「平柳」の地に再建することになり、そのためすでに使用されていなかった宗岡茶屋を譲り受けることになったのであるが、奇しくも水野家断絶の前年のことである。茶屋の部材は本殿建築に使用されたと伝わる。

今でも本殿の鬼瓦に「抱き沢瀉」の家紋が使われているのは、そういった縁があるからだという。

本殿の鬼瓦に水野氏の家紋「抱き沢瀉」が使用されている。

深草神社の参道から拝殿を望む。

水野氏の家紋が刻まれた供物台。

深草神社の前の通りはかつて東城往来として多くの人や物が行き交った。神社の隣にはノコギリ屋根の建物が並んでいる。かつて備後織物が盛んだった当地らしい風景である。

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