広島県福山市御幸町

森脇八幡神社

村の誕生から長き水との戦い、その歴史を静謐が包み込む。

伝承によると、近くの卒塔婆ケ淵の岸に柳の大樹がありその先に鎮座していたものを室町時代の文正年中(1466~67)に現在の「西京の地」に遷座したのだという。
応仁の乱(1467~)により荘園制が解体していく一方、一四~一五世紀にかけて各地で惣村が形成されていく。まさにその時代、石成荘(いわなりのしょう)であったこの地にも新しい村ができ、氏神様として村人が現在の場所に八幡神社を遷座したのであろう。そして江戸時代には森脇村・上岩成村・下岩成村の産土神となった。
変化していく時代の中で、自分たちの村の氏神様をもった人々はどんな希望を抱いて未来へと向かったことであろう。しかし、森脇の地はもともと河川の氾濫でたびたび水害に見舞われており、江戸時代を通じて、中津原村と共に、洪水と戦う事になるのである。
神社の境内には、大樹の根本に二つの石柱が立っている。高い方が羽賀の砂堰にあった石柱であり、小さな方は洪水の際、悪水溝の逆流を高張土手で防ぐための樋門の石柱である。どちらもこの地の人々が洪水と戦い続けた歴史の証人である。

長い参道のむこうに拝殿と社殿の屋根が見える。

羽賀砂堰の石柱(右)と田口放水路の門樋石(左)。右の石柱は砂堰に立てられたもの。下部は地面に埋まっており、印のある地表三尺(約90cm)まで土を盛ることができた。小さい石柱は悪水の逆流を防ぐための樋門。

鳥居は元禄14年(1701)の造立。

ひときわ印象的な大樹が境内を見守る。