笠岡市笠岡

小田県庁跡

歴史に翻弄された福山。

JR笠岡駅の北側から真直ぐ延びる道がある。県庁通りと呼ばれ、その突き当たりには小田県庁跡の門がどっしりと構えている。世が世なら福山人にとっての県庁所在地はここであった。

明治四年七月の廃藩置県によって福山藩は福山県となった。同年十一月には備後国福山県(神石郡を含む)と備中国諸県をあわせて深津県が設置される。しかし翌五年六月には小田県と改称。これは県庁所在地を福山ではなく小田郡笠岡村に置くことになったためだ。その後、小田県は明治八年十二月に岡山県に合併され、九年四月には備後地方のみ岡山県から分離して広島県へ移管された。明治五年の備後地域(福山県と神石郡)の総人口、約二〇万人が、数年の間に、深津県、小田県、岡山県、広島県と所属が変遷したのである。

ひと昔前まで福山人は、広島県人と言われると違和感があり、隣県笠岡市の方に親しみをもっていたと思う。歴史に「もし」は禁句だが、今、福山県や小田県があったなら、どういう文化圏が育っていたことだろう。備中・備後に思いを馳せながら、秋の夜長にふと夢想する。

もとは、笠岡代官所跡であり、元禄11年(1700)に福山藩から幕府直轄領となり元禄13年に代官所が設けられた。明治5年に小田県庁がこの地に置かれた。
現在残る門は現岡山市妹尾の戸川氏陣屋門が移築された。明治9年からは小学校の校門として現在まで使われている。

JR笠岡駅北側から真直ぐ延びる県庁通り。

笠岡駅北側の広場にある「白石踊りからくり時計」。毎正時に人形が動く。