福山市大門町

笠岡街道~七隠

県境に残された道のタイムカプセル

水野勝成が福山に転封になった時、尾道ではなく笠岡の地を望んだ。そして、笠岡には町奉行が置かれ、福山城下と笠岡を結ぶ笠岡街道が開かれた。それから七〇年以上経った元禄十一年(1698)。水野家断絶後、福山城請け取りのための使者が福山に入城した。

その時、作られたのが、「備後福山御城請取絵図」(岡山大学附属図書館所蔵)である。地図には笠岡街道が描かれており、その道を通って、在番の讃岐丸亀城主・京極縫殿高或の家老千田数馬たちが笠岡よりやってきた。地図には吉浜村(現笠岡市)と大門村(現福山市)の中ほどに「ナナカクレ」の文字が確認できる。家並みも描かれている。つまり備後備中の境から少し備後側に入った場所が「七隠」の集落があったのだ。その集落はもうないが、そこを通っていた道は今も当時の風情を微かに残し存在している。

集落の跡だろうか、畠の跡だろうか…、県境をまたぐ人気のない沿道に、遠い昔の人々の暮らしが垣間見えるようだ。時代に置き去りにされたが故に、濃密に歴史が薫りたつ道である。

舗装路ではあるが、往時の七尺道がそのまま残ったような笠岡街道。明治までは福山と笠岡を結ぶ主要道路であったが、大正9年に大門町を旧国道2号が貫通したため、こちらの山道はそのまま打ち捨てられてしまった。現在は、七隠を越え笠岡市の用之江の四ツ堂あたりで旧国道と合流する。

七隠の街道の入口付近。

県境にある道しるべ。「右かさおか 左さくみち」、右へ行けば笠岡へ、左は作道(農道)。

道沿いにある六十六部の供養碑。(文政9年と天保3年)