広島県福山市東深津町

塩崎神社

深津沖新田と水野勝成、縁を紡(えにし)いだ神社。

正保元年(1644)に、王子山沖から手城の梶島山まで一直線に潮止め堤防を築く工事が始まったが、大潮や暴風などで堤が決壊し、何度も工事を中断せざるをえなかった。さすがの勝成も工事の中止を考えるほどだったが、深津村の長老が、才ノ尾(現在の塩崎神社西側の三重山と呼ばれる山の上)の大明神に祈願することを進言。勝成は深津村の無量寺の庵主を招き、工事の安全を祈願し、以降大きな事故もおきなかった。勝成は非常に喜んで、正保3年(1646)に、大明神を麓に降ろし、社殿を造営し、「塩崎大明神」として祀ったのが、始まりとされている。
苦労して築造された潮止め堤防は「千間土手」として、その名を現在までとどめている。

潮崎神社正面参道。地元の人々が気軽に参拝に訪れ、地域の人々に信奉されていることがよくわかる。

明治時代、本殿を守るため覆い屋の拝殿が建てられた。

福山累層の露頭。トラフ型斜交葉理や礫岩層基底面のトラフ型断面形が観察される。

境内にある聡敏神社。勝成と深津村との縁を偲び、八幡宮から勧請された。参勤交代の時、大手門まで先導する奴は深津村から徴収されたが、その奴姿の勇壮さを勝成が称賛し、以来行列の際には深津村にお呼びがかかったという。その縁で、明治時代、城内にあった行列の装備一式が深津村に払い下げられ、戦前から大名行列が再現された。現在も深津時代行列として実施され、勝成との縁を結んでいる。

MEMO

山陽本線高架北側を東進、辻の坂を越え、「東深津町沖」のひとつ手前の辻を水路沿いに北へ入り約150m。