広島県福山市北吉津町

松熊山 胎蔵寺

数奇な運命が巡りあわせた覇権者たちと気高き仏像

それはまさに仏の慈悲を具現化したような美しさだ。その気高さにおのずと頭を垂れ、両手をあわせたくなる。南北朝時代の作と伝わるこの釈迦如来像と二菩薩は、どのような経緯で、今、目にすることができているのだろう。
奴可郡西城にあって宮氏の祈願所であった胎蔵寺。慶長年間、福島丹波守正澄が神辺の川北村に移し祈願寺とした。水野勝成入封後は同じく祈願所とし、鬼門守護のため、現在地に移転させた。
一方、城山(現・福山城本丸)にあった松熊山常興寺。この寺の本尊は、杉原民部大丞親光(すぎはらみんぶのだいじょうちかみつ)が祖母のため造立した木造釈迦如来坐像であった。水野勝成は築城の際、本尊を胎蔵寺に移したと言われる。勝成も一目見て、その美しさに呑まれたのではなかろうか。
慈悲深かった祖母のために造られた仏像は、七百年ほどの時を経てもなお、その慈愛で人々の心を救い続けている。

木造釈迦如来坐像ならびに脇侍二菩薩の獅子座(文殊菩薩)および白像座(普賢菩薩)(県重要文化財)両側に、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、優波離尊者(うばりそんじゃ)、目連尊者(もくれんそんじゃ)、阿難尊者(あなんそんじゃ)。平成13年の解体修理の際、多くの胎内文書が発見された。これは福山の中世史を塗り替える大発見であった。胎内施入品については、胎蔵寺ホームページに詳しく記載。(taizoji.com)

境内には山号にふさわしく松の木がたくさん植えられている。

西城大富山城の城門を移したと伝わる山門には、宮氏の家紋である木瓜が施されている。