広島県福山市赤坂町

勝負銅山

千年のかなやまを想う。

今も市内に点在する鉱山跡。樹陰にまぎれてひっそりと間歩(まぶ)が口を開けている。中世以前の土豪たちがしのぎを削った「かなやま」の覇権争い、戦国時代から江戸時代、そして昭和時代まで、千年の間、断続的に採掘されてきた。
小字(こあざ)が勝負なので勝負銅山と呼ばれる赤坂鉱山。採掘された鉱石は、金、銀、銅、亜鉛、砒素、水銀鉱、硫化鉄など、多種類に及ぶ。採掘の始まりは大同年間(806~810)と伝わる。永く休鉱していたが、江戸時代、嘉永年間(1848~33)に赤坂村の庄屋によって採掘が再開。その後も明治、大正と採掘され、昭和二十八年まで続いた。最盛期には、鉱夫五十人以上、二十余世帯が居住して、事務所、製錬所、宿舎長屋等、飯場、合宿所など広大な設備があったという。
度重なる採鉱により、坑道は縦横無尽に掘られ、坑の中心部近くは、十文字と呼ばれる畳二十~三十畳の大洞窟があると言われている。上下、左右に何十メートルも続く坑道は現在立ち入る事はできない。地表に小さく開いた間歩の先にどのような地下世界が広がっているか想像するしかないが、そこには千年の郷土の記憶が詰まっていることだろう。

広場にそびえるズリ(坑道から採掘された岩石)山。ここが採掘場であったことを如実に物語っている。鉱毒のためズリ山には植物が生えないと言われており、実際に植物は今も生えていない。観察するとわずかに鉱物が混ざっているのがわかる。

案内板の先、左手にある間歩。ズリ山の近くにももうひとつあるが、いずれも立ち入りは禁止されている。

かまど神社。傍らの小さな祠には古い時代の一石五輪塔がある。

入口の道端にある案内板。

MEMO

赤坂バイパス下り線「赤坂出口」から南へ約180m、右手に墓所のある四ツ辻を右折し、600mほどで左手に案内板が見える。その細い道を上っていくと、つきあたりにズリ山が見える。