広島県福山市山手町

大鏡山 三寳寺(だいきょうざん さんぼうじ)

歴史家たちが訪れる古刹。

山手銀山城主の杉原盛重の菩提寺として知られているが、縁起はもっと古い。
延暦二十四年(八〇五)興福寺の高僧が佐倉山に等傳寺を建立したのが始まりとされる。やがて法相宗が衰退してくると、法燈国師が弘安四年(一二八一)に今の地に寺を建立し、釈迦牟尼佛を本尊に臨済宗 大鏡山 三寳寺と名付けた。七堂伽藍のたいへん立派な寺であったという。しかし二百二十年ほど後、長雨で背後の山が崩れ、伽藍は壊滅してしまう。
大永二年(一五二二)に、杉原匡信が大檀那となり、三寳寺を曹洞宗に改め中興。以降、歴代銀山城主の崇敬を受け、後の水野氏にも厚く保護され、長く隆盛することとなる。
福山の原点とも言える銀山城下は今や町並にのまれてしまっているが、古きを尋ねてこの寺に今も多くの歴史家たちが訪れている。

三寳寺山門。この地は、山手銀山城の城下町として大層栄えていたそうである。寺の西側に「旗谷」という地があるが、銀山城主杉原氏の軍勢は、ここに勢揃いして出陣したと伝えられている。

本堂。

山門前に延びる参道。その先に中世山陽道、近世山陽道が通る。豊臣秀吉は九州下向の際、中世山陽道を通って来、この地に宿陣した。

杉原理興・盛重の位牌と水野五代の位牌。没した地ではないが、代々城主と縁のある寺であることがわかる。

境内(本堂横)にある杉原一族の墓石。他にも墓所には、藤井好直(「片山病」を世に知らしめた)と、藤井葦川(漢詩人)親子の墓もある。