• 福山ぶらり歴史紀行

草深の唐樋門(くさぶかのからひもん)

広島県福山市沼隈町

市内に唯一残る干拓地の守りの砦

昔、沼隈の海は深く切れ込んでおり、常石の東部分は海に突き出た半島であった。寄宮八幡宮が鎮座する丘は、遠浅の海に浮かぶ島であった。
かつて海であった場所に、現在ハローズやニチエーなど大型店舗が建ち並び、その真ん中を県道が南下する。千年橋を渡ってすぐ左折すると、桜の並木道だ。ここが、寛文年間(一六六一~七二)草深の磯新涯を干拓した際に造られた土手である。昭和二十六年に新たに田中新田ができ、今ではここがかつて海と新涯地を区切った境だったとは判別し難い。
左手に流れるのが、潮の混じった悪水を流す潮廻し川の名残だ。その川に沿って東進して行くと、土手の端に現れるのが「草深の唐樋門」である。
ひとつの樋門が土地の生い立ちを語り、それがまた三五〇年の人々の生きざまを想像させる。土地の成り立ちを知ることは、史跡を訪ねること以上に、より深く鮮やかに歴史を喚起させてくれる。

海側から見ると、樋門の全容がよくわかる。堂内部に取り付けられた滑車により、三枚の門扉が上下に動くようになっている。満ち潮時はこの門を堅く閉ざし、干拓地を守り、引き潮になれば開放して悪水を逃した。

裏側から眺めると石垣から突き出た石が太い梁を支えているのがわかる。守りの砦として堂々とした風貌である。

樋の堂と呼ばれる建物。床下に樋門がある。

春には桜の名所となるかつての土手道。向かって右が干拓地で、左が海であった。

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