広島県福山市駅家町

大坊 福盛寺

中世の大伽藍、大坊に古を偲ぶ

妙雲山福盛寺大坊というより大坊のみの方が通りがよいだろう。大坊はかつて十二坊あった時の中心の坊だった。山中の大伽藍(だいがらん)には各地から集まった修行僧たちが仏教を学び、寺々から読経が聞こえたことだろう。
開基は平安時代とも伝わるが、天正二年(1574)に雷火にて消失し、一切の記録は灰燼(かいじん)に帰した。塔中十二坊も松本坊のみとなった。その後、伽藍は復興することなく衰微(すいび)していったが、福山藩歴代城主の庇護を受け、福盛寺として興隆していった。
福盛寺は、菅茶山の「黄葉夕陽村舎詩」の中にも謳われている。この詩は門田朴斉の書となって大坊に納められたという。また、茶山は「備後國福山領風俗問状答」に「新山福盛寺鬼儺図」を描いている。鬼儺い(おにやらい)は平安時代に大晦日に行われた行事で、平安時代開基というのも頷ける話である。
栄華を誇った伽藍も歴史的書物も失ったが、神辺平野が遠望できる風光明媚な山寺は、その大河なる歴史を脈々と今も伝えようとしている。

本堂。福盛寺は高野山の準別格本山で、本尊は「千手千眼観世音菩薩」。備後西国三十三観音霊場の札所になっていて、遠方からも参詣の足が絶えることはない。また、大坊福盛寺の伝わる伝説は数多く、いかに如何に衆生に信奉されていたかを物語るものであろう。

十二坊が存在していた当時の繁栄ぶりがうかがえる仁王門。現在の本堂から800mほど下の山の麓にある。(現在は向きをかえて道路の脇に移築されている)仁王像(県重文)は寛元3年(1245)僧昌快(しょうかい)作。県指定の仁王像では最古のものである。

参道に並ぶ寄進の石燈籠に圧倒される。お寺に寄せる人々の厚い信仰心を感じる。