• 福山ぶらり歴史紀行

栗屋平兵衛と圓福寺

広島県福山市駅家町

山の気に守られし聖域、はっとり本郷

服部川を北へ北へと上っていくと、にわかに左右に山が迫り、こと空気が動く。山の気配が色濃く肌に纏わる。
古くから栄えた服部本郷、集落の北に位置するのは圓福寺である。そこがかつての本郷村の庄屋「栗屋平兵衛」の屋敷地だ。平兵衛は大雨のたびに決壊する服部川の土手を私財をもって堅牢に築き、長きにわたり流域の民の暮らしを水害から守った。しかし、言われなき事で藩から追われることとなり、府中へ逃げのび、そこで生涯を終えた。
水野家時代に生まれ阿部藩から追われた栗屋平兵衛と水野家と縁のある圓福寺。幾星霜の歴史の光と影を内包し、山はその胸襟を開く。鳥のさえずり、虫の音、谷をわたる風、樹々のざわめき、深く穏やかな呼吸をひとつして、空を見上げれば、まさに山の息吹を聴く。平兵衛の壺は今も圓福寺に坐している。

栗屋平兵衛の屋敷跡から出てきたいんべ焼き(古備前)(写真左)と明製の壺二つ。今も圓福寺で大切に保管されている。

屋敷跡に移転してきた圓福寺入口の石段。左右の石垣が当時の栗屋平兵衛屋敷の豪壮さを物語っている。

本堂入口の扉の紋。水野家の姫が本寺に嫁してから抱沢瀉の紋を使用することを許されたという。

山間に広がる服部本郷地区。

中央の大きな墓が栗屋平兵衛の両親の墓。わが身の立身は両親のおかげとして、立派な墓を建てた。平兵衛の夫婦墓は向かって右、奥から2番目の小さなお墓。長男が藩に遠慮したとも伝わる。

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