• 福山ぶらり歴史紀行

岩屋権現

広島県福山市山野町

神さびた地に千五百年の星霜を識る

洞(ほら)はどれぐらいの歳月をかけて造形されたのだろうか。千五百年ほど前ここに宮を造ったのはどのような経緯があったのだろうか。深く知ることはなくとも、この地に立てば神域であったことは肌身に感じることができる。
細い簡易舗装路を上って行くと、杉林の自然道へと続く。急坂に息つぎしながらさらに登ると石段の先に巨大な石壁が見えてくる。「上原谷石灰岩巨大礫(かみはらたにせっ かいがんきょだいれき)」である。赤色の凝灰岩質礫岩層のうえに巨大な石灰岩塊が載っている状態で、石灰岩の下部が洞穴となっている。その洞に祀られているのが岩屋権現として名が知られている式内社。平安時代に編纂された『日本三大実録』に載る多祁伊奈太岐佐耶布都(たけいなだきさやふつ)神社である。
神社というより、まさに岩屋というイメージ。この巨大礫そのものに古代人も圧倒的な神秘を感じただろう。平安時代の人々もはるか太古の遺跡に畏怖したに違いない。それが実感できるほど、現代人でも敬虔な気持ちになれる場所である。

石段の先に見える「上原谷石灰岩巨大礫」(広島県指定天然記念物)。高さ30m、幅33m、奥行き約35mの巨石で、観る者を圧倒する。

多祁伊奈太岐佐耶布都神社。深安神社めぐりの一社でもあリ、ご朱印箱も用意されている。左側は赤濱宮。

洞穴奥には、さらに奥へと小さな空洞が続いており、そこから水が流れ出ている。

下から見上げた巨大礫。

表参道の入口。案内看板と駐車場がある。「岩屋権現」バス停の目の前。

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