広島県福山市引野町

梶島山

小さな山の頂上で、遥かなる潮騒を聴く

中世の頃、周囲はぐるりと海だった。梶島は、深津湾内を出入りする船を取り締まる要地「五箇の手嶋の城」のひとつであったという。
近世になると、北に石樋畷、東に百間土手ができ、陸続きとなった。やがて西に千軒土手ができ、五十年も経たない内に海岸線ははるか南に下り、梶島は陸地の中の盛り上がる丘になってしまった。それでも、一面に広がる田圃の中にあっては、平地に浮ぶ島のようであったかもしれない。
今では町並に埋没して島の面影は全くない。しかし、山の頂上に上れば、かつてここが島であったことが容易に察せられる。戦国時代、海の向こうから渡辺兼らの船が押し寄せてくる様が目に浮ぶようだ。島は陸地となり、無数の人々の暮らしが積み重なり、新たな歴史を紡いできた。この小さな丘は、それらすべての時代を優しく包み込んでくれている。

梶島山頂上にある岩竹山普門庵跡。元禄初年福山賢忠寺第四世住職覚海和尚により創建。南麓には「庵の下」という地名が残る。

石樋畷跡。梶島の北西と前古屋高崎とを結んだ堰堤。潮抜の樋が梶島西側山すそに造成され、この樋門が石樋であったので、この樋につながる潮止堤防も石樋畷と呼ばれた。

千間土手跡。梶島山西側から深津王子山までを結ぶんだ堰堤跡。

昔から貴重だった梶島山の井戸水。かつては58本の井戸があったが、現在残っているのは35本ほど。

石樋畷の南端にあった道標。一時所在不明になっていたが、現在は、梶島山会館の前に移設されている。他に百間土手西詰、千間土手東詰にも同様の道標があった。

MEMO

国道2号「梶島山」交差点を南へ。突き当たりが「梶島山」