広島県福山市神辺町

要害山

絶景かな 値千金  兵(つわもの)どもの夢の跡

文十二年(1543)から始まった神辺城合戦。神辺城の尼子方山名理興に対するのは大内・毛利軍。向城として毛利氏が陣を張ったのが要害山である。
七年もの長き戦いの末、天文十八年、神辺城は落城。要害山城は役目を終え廃城となり、そのままの姿を今日に伝えることとなった。
手入れの行き届いた本丸からは、神辺平野が一望できる。毛利勢が居た頃はまだ沼地が多く、高屋川を挟んでどんな戦を繰り広げていたのだろう。江戸時代には平野一面に稲穂が揺れる景色が広がっていただろう。
戦国時代の毛利軍の武将気分になるのも一興、満開の桜の樹の下で神辺平野を見晴らしてのんびり深呼吸するのも気持ちいい。この山の魅力は人それぞれだ。

本丸に沿ってぐるりと巡らされた二重の土塁と空堀で強固な防衛ラインを形成。中世山城の最も発展した形式を今に伝える。もともとは南北朝時代に宮一族によって築かれたとも云われる。山城跡はよく整備されているので、非常に見学しやすい。本丸には石鎚神社とたくさんの桜の木が植えられており、散策スポットとしてもおすすめ。

麓にある天満神社。本殿の裏側に登山口がある。

眼下には神辺平野が一望できる。点在するため池の多さに目を見張る。

 

登山道も整備されており、急坂ながら非常に登りやすい。