広島県福山市走島町

走島

いざ、伝説の島へ

福山城下と同じ歳月を積み重ねてきた町、走島。しかし、島の南側にはもっと古くに栄えた町があった。
室町時代、足利義満が行った勘合貿易において、鞆の津の外港として重要な地位を占めていた洞仙浦(唐船)。唐船千家の市と呼ばれ、支那町、京町、唐人町と言う町並があり、大層繁栄していたという。しかし、ある時、地震と津波がこの地を襲い、民家も鹿島大社も崩壊し、ことごとく波にさらわれてしまった。以来、島は無人となった。
やがて元和六年、水野勝成が海洋警備、難船救助のため入植者を募集し、村上太郎兵衛が家来四人を連れて移住。勝成は走島に太郎兵衛を訪ね、彼を召抱えたいと申し出たが、太郎兵衛は固辞。勝成は「武気を捨てることなく、郷士として走島で海洋警備の任に就くこと」を命じた。
こうして無人となっていた島は、水野福山藩とともに新しい歴史を歩むことになる。語り継がれるべき福山の歴史がここにも眠っている。

弧を描く美しい海岸線越しに唐船地区を望む。かつて「千の市」があった場所で、沖の海中に鹿島大社の鳥居や狛犬が見えるという伝説がある。
(走島は「本浦地区」「浦友地区」「唐船地区」から成る。)

村上庄屋屋敷跡。太郎兵衛の子孫は多才治の名跡で代々庄屋を勤めた。太郎兵衛は走島と宇治島、袴島、鍛冶屋島を拝領し家臣四名と移住開拓し、後に旧臣九名を因島から呼びよせたという。入植の年は元和六年説と九年説がある。

東側の海岸沿いにある奇岩「小山」。唐船地区に行く途中にある。

唐船地区南側の天女が浜。

地上に張り巡らされた黒いホースは水道菅。