広島県福山市赤坂町

赤坂八幡神社

戦国の智将 杉原盛重が詣でた地に建つ優美な流造の社殿。

山手銀山城主とされる杉原盛重の足跡は、備後よりも山陰の方に多いが、それでも山手三寶寺を中心に残っている。
そのひとつが赤坂八幡宮である。承和年間(八三四~四八)の創祀、建久二年(一一九一)再建と伝えられるが、確かなのは、天正八年(一五八〇)杉原盛重が大檀那となって神殿が再建されたことだ。かの杉原盛重もこの地を何度か訪れたこともあるだろう。中世の風景はどのようであったろうか。
現在の本殿の建立年代は不詳であるが、十七世紀後期と考えられている。
特筆すべきは、その様式である。外陣付きの流造の形式は、安芸国には多いが、備後国では福山市の郊外に点在しているぐらいなのだという。
江戸時代の福山城下の繁栄に追いやられた形だが、中世の頃に繁栄した地には、まだまだ興味のつきない歴史が眠っている。

三間社の流造本殿。吹き放ちの外陣をもち、細部は古式を保っている。組物や彫刻類に極彩色が施されていた跡が見える。十七世紀後期、この地方の代表的な本殿のひとつとされる。

拝殿と本殿。幅のある立派な拝殿なので、正面からだと本殿はほとんど見えない。

入口の参道。鳥居や狛犬、常夜燈など江戸時代のものである。赤坂・早戸・加屋・津之郷、四カ村の氏神として、信奉された。

神社の裏手にある宝篋印塔(市重文)。南北朝時代の作と考えられる。古くから栄えた地である証である。