• 福山ぶらり歴史紀行

風呂本薬師~観音寺

広島県福山市柳津町

海の青さが眼下に迫る。塩田より遥か昔の物語……。

細くくねった坂を歩いてゆく。右手には松永湾が広がっている。
ぎゅっと歴史がつまった密度の濃い空気が、軽々と意識を中世へと運んでくれる。江戸時代より前、この地の海は山際まで迫っていた。山の斜面の道を行き交う人々は、眼下に迫る海の青さと空の高さをその目にしたことだろう。
柳津の名の由来は、神武天皇が船をこの地の柳の木につなぎ上陸されたためと言う。ここを柳の里と称し、出雲族の支配を受けていた住民が多く住んだと語り伝えられている。
また弘法大師が柳津に立ち寄ったとき、風呂本川で水行をされ、一夜の宿を求めた。その時、杖を突き水が湧き出し井戸となったという伝承も残る。
気の遠くなるような長い年月を刻みこんだ土地である。

風呂本薬師の前に延びる中世の往還。左手の道へ行くと観音寺へ通じる。その東方向へ「柳津御上陸之地」の碑がある。

風呂本薬師にある弘法大師ゆかりの井戸。

「柳津御上陸之地」の碑。神武天皇がここの柳の木に船をつなぎ上陸した。隣には六角形の岩井の井戸(市場井戸)がある。

観音寺境内にある天保2年(1825)の大師堂。

眼下には松永湾が遠望できる。中世の頃は建物が密集している地域まで海であった。

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