福山市沼隈町草深

寄ノ宮・亀山八幡神社

寄せ返す波のように悠久の歴史が打ち寄せる。

悠久の時の流れ、その狭間に浮ぶのは、潮騒の音か、武士(もののふ)の怒号か、藺草刈る人々の喧騒か、はたまた尾道石工の掛け声か……。
神功皇后朝鮮出兵の砌、南風に流されてこの島に寄ったことにより、寄りの宮と号すようになったという伝承がある。十三世紀には岡崎氏により草深城が築城された。周囲は断崖となって人を寄せ付けず、中世の城郭としては格好の条件を備えた海賊城であった。
江戸時代に干拓が行われ、陸続きとなったが、海運は隆盛で、境内には尾道石工の石造物が多く残る。
今は、潮騒も聞こえぬ陸地の丘となってしまったが、ひととき静寂の中に耳を澄ますと、歴史の波が打ち寄せてくるかのようだ。

堂々とした体躯に風格と美しさを滲ませる狛犬一対。尾道石工丈助作で寛政12年(1800)造立、福山市内ではトップレベルで古いものである。地域の人たちの先進性と経済的な豊かさが感じられる。

北側参道入口の石燈籠は文政7年(1824)のもので、尾道石工川崎友八作。銘文は頼山陽の書とする説がある。端然とした美をたずさえた燈籠である。

北側参道入口の鳥居。享保8年(1723)、尾道石工平三郎作。福山市重文指定。鳥衾(とりぶすま)をのせているのが特徴。(右側は欠落)

正面に拝殿。右手に神楽殿。手前にこま犬が見える。創祀は天暦年中(947~57)と伝えられ、本殿は宝治元年(1247)天文八年(1539)慶長七年(1602)正徳二年(1712)に再建している。