広島県福山市加茂町

窪田次郎生家跡

理想を追い求め、駆け抜けた青年。

動乱の幕末、安那郡粟根村の医者の息子に生まれた窪田次郎。
医業を継いで六年、三十四歳の時に明治維新を迎えた。
人々に教育が必要だと痛感した彼は、誰もが無料で教育を受けることができる「啓蒙所」の設立に尽力する。小学校の前身ともいえるものだ。
三十七歳の時に最初の啓蒙所「深津村啓蒙所」を設立し、また同じ年に粟根村村議会を開設。国会開設の二〇年も前に、地方の一農村で驚くほど民主的な議会が開かれていたのだ。その二年後には、備中・備後の医師に呼びかけ「田舎医術調所」を設置。医師会設立の四〇年以上前のことである。
新しい時代に向って、志を高くして、理想にまい進し続けた窪田次郎だが、貴官・高禄を食むより、生涯「粟根村の医師」として近郷の人々に尽くすことを望んだ。しかし、時代に先んじすぎた彼は、時代の潮流に弾かれ、四十五歳で岡山へ移住することになる。六十八歳で没した次郎は、粟根村窪田家の墓所に葬られたという。
晩年、郷里の歴史の中から消えてしまったとはいえ、福山の誇る偉人であることには間違いない。

今はただ白い土蔵がひとつ残る窪田次郎生家跡。

窪田次郎生家跡の前の道を400mほど北上するとお堂と地蔵尊がある。ここから山の方へ登ると井伏鱒二生家。

立派な石垣が残る屋敷跡。庭園には多くの庭石が配列され、本宅跡には礎石の一部が残る。代々栄えた庄屋屋敷の面影が見られる。