• 福山ぶらり歴史紀行

山手銀山城跡

広島県福山市山手町

智将・杉原盛重の居城数百年の眠りから目覚める。

室町時代初めに築かれたと伝えられる山手銀山城。鞆から府中に抜ける街道を押える重要な位置にあり、福山周辺で規模・構造とも屈指の山城である。
麓の三宝寺に残されている城主の位牌は、初代杉原匡信、二代理興、三代盛重。盛重は、戦国時代において、ひときわ異彩を放った武将であった。勇猛果敢、知略に長け、人心の機微を掴むのもうまかった。銀山城主から神辺城主となり、後年は山陰の尾高泉山城主となり、かの地で、「伯州の神辺殿」と敬意をもって呼ばれたという。
銀山城は、盛重が神辺城に移った後、天正十一年(1583)には廃城になり、以後長い眠りにつくこととなる。
山城遺跡としては広く知られるところであったが、長らく雑木に埋れたままだった銀山城は、今、徐々にかつての山城の姿を表出してきている。
新たな歴史が発掘されるのも、そう遠くはないかもしれない。

かつては藪に覆われていた本丸。現在、測量調査のため伐採され、その規模が実感できる。

大手門附近の石垣。他に場所にも石垣が残っている。

登り口には、木の杖もある。頭上に横木を渡した2本の木の間から登るが、案内板がないので注意が必要。道筋には目印の赤いテープが結ばれている。

東側の曲輪に残る土塁。

銀山城麓の三宝寺。かつて銀山城の城下町であった。延暦24年(805)開基、弘安4年(1281)現在地に大鏡山三宝寺を建立。大永2(1522)杉原匡信が大檀那となり、中興。水野氏も手厚く保護した、杉原氏の菩提寺である。

文と写真 秋山 由実

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