両社八幡宮と聡敏神社

両社八幡宮と聡敏神社

福山城下の氏神様、時を経て福山総鎮守となる。

旧市街地に住む人にとっては、福山八幡宮というより、「野上八幡」、「延広八幡」、あるいは「西の宮」「東の宮」の方が聞きなれたことばかもしれない。
古くからあった二つの神社は、二代藩主水野勝俊により、城下南の西と東に置かれ、四代藩主勝種により、城を南に臨む現在の場所に同じ形式・規模で両社を並べて遷座された。以後、両社八幡宮と呼ばれるようになった。町人の氏神様として東御宮、藩士の氏神様として西御宮、両社は、初代水野勝成公を祀った聡敏神社を挟んで並び建っていた。
昭和四十四年に両社は「福山八幡宮」となり、昭和五十九年には中央にあった聡敏神社を北西部に移し、現在の拝殿が建設された。
毎年の初詣は中央の拝殿に参る人が多いが、古くからの氏子は、今も氏神様に参拝している。

「西御宮」「東御宮」両社とも、本殿、拝殿、随身門、石段、鳥居、それぞれ同じ規模・様式で東西に並べて建てられており、全国的に例が少ない。かつては中央には聡敏神社が建っていたが、現在は福山八幡宮の拝殿。

平成20年に化粧直しされ、当時の美しい彩色を甦らせた西御宮本殿

かつて両社の中央に座していた聡敏神社本殿。北西部に遷座した今でもお参りする人は多い。両扉の抱沢瀉の紋が威厳を放つ。

西御宮と全く同じ造りの東御宮。両社とも同じ時を経てきた深みのある趣きを漂わせている。

文と写真 秋山 由実