• 福山ぶらり歴史紀行

護国寺鐘楼門

広島県福山市神辺町道上

時代に翻弄されながらも変わらず輝き続けるものたち

明治維新で世の中は一変し、あらゆるものが変容を迫られた。
宗教もその例外ではなかった。
江戸時代の多くの寺社は神仏習合していたが、明治初めに神仏分離令が発せられ、それに伴い全国的に廃仏毀釈運動が起り、各地の寺院や仏具が破壊された。神社となった境内から鐘楼や本地堂が次々に破壊されていった。
難を切り抜けたのが府中市の南宮神社の鐘楼と、戸手天王社(素盞鳴神社)の本地堂(現・天満宮)である。
戸手天王社の鐘楼門は、本来は破棄されるはずだったが、護国寺に譲り受けられ、その壮麗な姿を今に伝える。
明治という激動の時代に揉まれた人々は後世を我々に託して亡くなったが、今も存在し続ける文化財たちは、我々に何を語ろうとしているのだろうか。

美しい造形が施された鐘楼門を境内から見る。もとは戸手天王社(素盞鳴神社)にあったものを移築した。

今にも飛び出しそうな龍の彫り物。蛙又には沢瀉(オモダカ)が彫られている。木鼻は籠彫。かつて隆盛を誇った牛頭天王社にふさわしい立派な造形である。

梵鐘は太平洋戦争時に供出され、現在のものは昭和25年に護国寺の檀信徒により奉納された。

護国寺本堂。天平13年開基した寺で、七堂伽藍の甍を並べ多数の松寺を有していたという。また南北朝初期開山という説もある。いずれにしても古刹である。

文と写真 秋山 由実

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