広島県福山市鞆町

鞆の津塔

鞆豪商たちの夢の跡

日本全国に、日本史上有名な人物にまつわる物語が多く残されている。ここ津之郷にも、ひっそりと刻まれた日本の歴史が眠っている。
時は天正15年(1587)、豊臣秀吉が九州出征する途中、備後赤坂にて足利最後の将軍、義昭に迎えられ対面した。この時、義昭は秀吉と和睦し、京都へ戻ることを許されるのだが、引き換えに征夷大将軍の座を退き出家した。織田信長に追われ備後に下ってから11年後、義昭51歳の事である。
両者の会見が赤坂のどこであったか特定できる史料は見つかっていないが、伝承によると田邊寺(養老5年(721)に創建された「和光寺」の後身と伝わる)とされている。近くには、義昭の御座所であった御殿山もあり、まさにここが足利幕府終焉の地と言えるだろう。それはまた、備後での義昭11年最後の足跡であり、穏やかな晩年を送る京都への始点でもある。

「鞆大仏」で有名な浄土宗阿弥陀寺の墓所では多くの鞆の津塔が見られる。いずれも17世紀中期のものと推される。他、真言宗大観寺にも2基存在する。

安国寺本堂

臨済宗安国寺の鞆の津塔。承応3年(1654)9月2日造立。2mを越す大きさである。正面・側面には臨済宗の戒名。また左側面には、寛延2年(1749)戒名を追加した刻銘がある。

文と写真 秋山 由実