- 福山ぶらり歴史紀行
沼名前神社(ぬなくま神社)
広島県福山市鞆町
古来より鞆町人の心のよりどころ
江戸時代の風情が残る町並として、今や有名な観光スポット、鞆の浦。町並に融け込んだ多くの古刹もまた知られるところだろう。しかし古くから鞆の町人たちの精神的支柱だったのは、沼名前神社ではないだろうか。鞆の祇園さんとも呼ばれるこの神社は、渡守神社と鞆祇園宮を合祀した神社で、それぞれの祭礼に関する「お手火神事」や「チョウサイ」は町をあげての行事である。心の根っこにこういう「祭り」の意識が紡ぎこまれているというのは幸せなことである。
もちろん、祭りだけでなく、境内には古き由緒を持つものが多い。水野氏寄進の鳥居や常夜燈、組立式能舞台。江戸時代、仲士たちが力自慢を競った力石。福山藩主に手厚く保護され、古くから鞆の人々に崇敬された神社は、これからも人々の心に寄り添ってそこに在り続けるのだろう。
沼名前神社本殿。長い石段を上りきった先に鎮座する。焼失以前は総桧皮葺権現造の非常に荘厳な社殿であった。現在はコンクリート製の流造であるが、その趣きは在りし日の社殿を彷彿とさせる。
渡守神社。貞享2 年(1685)造立の三間社流造。例祭は旧暦8月(新暦9月)の3日間。鞆の各町が輪番で執り行う。「造り物」や「明かし物」などさながらイベント会場の賑わい。3日目の「チョウサイ」で賑わいもクライマックスに。
旧暦6月に行われる祇園宮のお手火神事。随神門から三体の大手火がゆらゆらと本殿へ向かう様は圧巻。まさに荒ぶる神、素佐之男命の祭りである。(今年は7月8日午後8時~)
第一次世界大戦の戦利品と伝わるクルップ砲。奉納されたものであろうが、貴重な戦争遺産でもある。
鳥が留まっているように見える鳥衾形の鳥居。寛永2年(1625)水野勝重が長男勝貞誕生にあたり、その息災延命のため寄進。県重要文化財。
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