広島県福山市水呑町

水呑八幡神社

桜吹雪の向こうに垣間見る古人(いにしえびと)の気概

もともと長和荘の鎮守であった福井八幡は、長和・地頭分・草戸・佐波・神島・水呑・田尻の産土神であった。しかし、室町時代の終わり頃(永禄十三年・1570)、水呑と長和との間に諍いがおき、水呑の者たちが福井八幡の御神体を奪って逃げたのだという。奪って逃げる水呑の者、取り返そうと追いかける長和の者。水呑洗谷の一本木のところで、追手に迫られたため、御神体を隠し逃げ帰った。ほとぼりがさめてから、御神体を隠した場所に社を建立して祭ったのだが、水呑村の中心から離れていたため、慶安四年(1651)に現在地に遷座した。
神社の創建は、戦国の世に湊として繁栄を極めた水呑の人々が長和荘から独立していくプロセスでもあったのではなかろうか。
春の終わり、水呑八幡神社を訪れると、視界を遮られるほどの桜吹雪に出会う。それはまるで、四五〇年前に自治権を持とうと奮闘した水呑衆の心意気を見るかのようだ。秋には例大祭で喧嘩みこしが行われるという。水呑衆の気概はここにも受け継がれている。

雪が舞うかのように散る桜の花びら。見事な散り際である。

花びらが敷き詰められた参道。石段の上からは芦田川の河口堰が眺望できる。

花見で賑わう境内も花びらで覆われる。手前のこま犬は天保12年(1841)建立。

洗谷公園にある水呑八幡宮跡の碑。この碑は旧跡の東南200mにあるという。