広島県福山市草戸町

法界地蔵尊

心が迷うたび訪れたい場所がある。

明治維新の四〇余年前。幕末の動乱を予想だにせぬ人々は、一日一日を真っ正直に心健やかに生きていたのだろう。多くの無縁仏を弔ったものとも、道行く人々の安全を願ったものとも言われる法界地蔵。発願したのは上組真言講中。傍らの参道奥には、真言宗法音寺がある。寺との境界という意味もあったのだろうか。それとも前年の大旱ばつの影響だろうか。
しかし、穏やかな表情で道行く人を見守る地蔵菩薩の前に立つと、ただひたすらあまねく人々を救うため、そこに座しておられるのだろうなあと、実感する。それは、歴史や宗教など関係なく、心に触れる真理なのかもしれない。

台座には「文政七甲申秋(1824年)」と「尾道石工丈助」の文字。丈助は安永九年(1780)~明治十二年(1879)までに二十四点の作品が確認されている尾道石工。特別な思いを込めて、名のある石工に依頼したのだろうかか。

背後にも丁寧に衣のヒダが刻まれている。石仏の背面を気にしたことはなかったが、これも石工のこだわりだろうか。

かつて半坂を越えて熊野方面へ向う旅人が歩いた道。少し先に八十八ケ所詣り九番の石仏がある。

文と写真 秋山 由実