• 三好教育長に聞く福山100NEN教育

三好教育長に聞く 福山100NEN教育 第56回

子どもから物事を考える ~子どもたちとの時間が私の「もと」~

今回は、2冊の学級通信が教育長室に置いてあったことから、三好教育長が中学校で担任の先生をされていたときの話を伺いました。

― こんなに厚い学級通信を初めて見ました。一年間で294号まで!「1993~1994年」と書いてあるので、今から30年前のものですね。

教育長:そうです。先日、ある校長先生から「教育長が中学校で担任をしていたときの話を教職員にしてほしい」という依頼を受けました。その校長先生とは、同じ中学校に勤めていたことがあったんです。放課後の校内研修へ参加し、校長先生から当時を振り返りながら質問される中で、学級通信の話題も出ました。担任をしていたときは、生徒が考えていること、感じていることを書いた日記「あゆみ」や班ノートの文章を載せた学級通信を、毎日書いていました。久しぶりに読んでみようと思って、出していたところです。

― 子どもの日記がたくさん載っていますね。今の中学生と30年前の中学生は、同じようなのか違うのか。どうですかね。いくらか紹介していただけますか。

― どれも面白いですね。それにしても、感じたこと考えていることを自分の言葉で率直に書いていますね。

教育長:子どもが書いた個人や班ノートを読むことが、毎日楽しみでした。一人一人の子どもと文章でやりとりする中で、たくさんのことを知ることができたし、元気づけられました。自分が読んで終わりではもったいないので通信で紹介していくと、多くの子が面白がって読み、そして書いていましたね。

― 学級通信というと、先生がメッセージを書くイメージがあるのですが、あまり三好先生の言葉は出てきませんね。

教育長:子どもや保護者の方から言われたことがあります。4月の学級懇談で、「『35人の仲間とともに』は、すべて子どもたちに向けてのものであって、親に向けてのものは1枚もありません。親への連絡としては使いません。これまでも親向けには書いていないし、これからも書くつもりはありません。しかし、見てもらえば学級の様子や、今子どもたちがどんなことを考えているのか分かってもらえると思います。」と伝えたことを覚えています。
学級通信を書き始めた初期の頃は、毎日、必ず自分の考えを書いていました。でも、知らず知らずのうちに、子どもたちを一つの枠にはめ込んでいるようで、何か違うと思い始めました。私がいいと思う人間を創ることが目標ではなく、それぞれが自分らしく、違いを認め合いながら伸びていくことが、何より大切だと考えるようになりました。
私が教員になって一番感じたことは、「子どもって凄い!」ということです。それぞれの子どもの中に、自分にないものをいっぱい感じました。この子のこの部分が自分にあったらいいなという、一人一人への憧れを強く抱いていました。それぞれ違う子どもたちが、日々何を考え、何を感じるか。お互いの違いから学び合えることがたくさんあります。
このように考えるようになってから、私の言葉での主張は、通信の中からどんどん減っていきました。私の主張は、子どもが書いた日記の中から、何を選び出し、どんな題を付けるか。さらに、考えてほしいことや、言いたいことを、みんなの文章の中で大きな文字にすること。これで十分だと思っていました。それでも、「こう考えるんだよ」と、押し付けているような気もしていました。私がいいと感じたからといって、みんな同じように感じるわけないし、感じるべきでもありません。私がすべきことは、子どもが自己選択・自己判断の材料、考える材料を幅広く示すことだと考えていました。

― 考えておられることは、担任をされていた頃も今も変わらないですね。

教育長:結局、人は変わらないんだなと思います。行動や発言は、環境や立場が変わると変わっているように見えるけれど、ものを見てどう感じて考えるかという本質は変わらないと思っています。久しぶりにこの通信を読んでみると、恐ろしいほどにあのときの気持ちのままです。やっていることは、全然違うけれど、「もと」は何も変わっていません。
「子どもがいて学校がある。」子どもがいるところからすべて始まっています。私が学校にいた時間は、教諭として14年、校長として1年3ヶ月です。そこでの子どもたちとの時間が私の「もと」です。ずっと、この「もと」からしか物事を考えていません。教員の仕事は、子どもから物事を考えることだと思います。今の仕事を辞めたら、もう一度担任を持って授業をしたいという気持ちが強くありますね。

PAGE TOP