• ご朱印帳のすゝめ

真言宗大覚寺派 唐尾山 國分寺

真言宗大覚寺派 唐尾山 國分寺

仏教が日本に伝来して間もない天平十三年、仏教による国家鎮護のため聖武天皇が発布した「國分僧寺尼寺建立の詔」により、全国六六洲に創建された國分寺の一つ。

1972〜76年の発掘調査によれば、奈良時代は現在の参道を中心に東西約一八〇㍍の築地塀に囲まれた寺域があり、古代山陽道に面した南大門、参道の中ほど左側に金堂、右には七重塔、北側には講堂があったとされ、当時は「法起寺式伽藍配置」をなしていたという。七重塔内に収められていた「紫紙金字金光明最勝王経十巻(ししきんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)」は、現在は国宝として奈良国立博物館に収蔵されている。  その後兵火や水害に見舞われたが、元禄七年に福山城主水野勝種侯が大檀那となり本堂を再建。客殿庫裏や梵鐘、仁王門が次々に建立され、現在の伽藍が整った。  中興から四代目住職の如實上人は菅茶山と親交が深く、歌会が催されるなど、文人墨客が集うサロンのような役割を果たしていたこともあるという。

仁王門の木造金剛力士立像は向かって右が吽形(うんぎょう)像、左が阿形(あぎょう)像。これは通常とは逆で、奈良東大寺南大門にある国宝の像と同じ配置だという。毎月21日午前8時から薬師護摩供、第1土曜の15時からは座禅会も開かれている。

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