• ご朱印帳のすゝめ

下御領八幡神社

下御領八幡神社

 備後国分寺の東側、旧古代山陽道沿いの池のほとりに静かにたたずむ下御領八幡神社。聖武天皇の天平年間の創立で「宇佐八幡宮を勧請し安那(やすな)の産土神(うぶすながみ)国分寺の鎮守に有」と伝えられる。神仏習合が行われていた江戸時代以前に国分寺を守護する鎮守社として創建されたため、昔は国分寺八幡宮と呼ばれていたという。
応仁の乱後社殿は大破したが、神辺城主・山名忠勝が永正3(1506)年に本殿・拝殿を再興。社領二〇貫を与えた。永禄5(1562)年には毛利元就の命により国分寺とともに杉原盛重が修復、貞享三(1686)年には福山藩主・水野勝慶も修理に助勢したと伝えられる。
村社として地域の人に大切に守られてきた同社。国分寺へとつながる道は美しい散策コースにもなっているようで、地域の人が散策がてらお参りする姿を見かけることも多い。
境内には神辺の名産でもある桃の実の神様・大加牟豆美命(おおかむづみのみこと)を祀った石碑もあり、3月第1日曜には「いい桃が収穫できるように」との願いをこめた「桃祭り」が開催される。

桃祭りのほか、6月最終日曜は夏越しの大祓、10月第一日曜は秋の例大祭、元旦の歳旦祭と春夏秋冬のお祭りも斎行。歳旦祭では新春を寿ぐ祝詞が奏上されるほか、お神酒や汁ものなどのご接待もある。

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