• ご朱印帳のすゝめ

南陽山 賢忠寺

南陽山 賢忠寺

明るく元気な子供たちの笑い声にあふれる賢忠寺。昭和35(1960)年開園の「かなりや幼稚園」を運営、幼児教育に力を注いでいることでもよく知られている。
初代福山藩主・水野勝成公が三河国刈谷の楞厳寺(りょうごんじ)から能山祖藝禅師(のうざんそげいぜんじ)を招き、元和8(1622)年に創建した。以後水野家の菩提寺となり、「水野勝成公の寺」として崇敬を集めている。
本堂裏、新幹線の北側にある勝成公の墓は、勝成公が没した慶安4(1651)年の建立。風格のある五輪塔で県史跡に指定されており、禅宗特有の「祖師西来意」の五文字が刻まれている。この墓域には勝成公の父・忠重公、三代勝貞公、四代勝種公の墓もある。
令和4(2022)年8月の福山城築城400年と同年・同月に創建400年を迎え、本堂・山門・書院などの改修と境内の整備など「令和の大改修」を実施した。
境内には中国福建省で造られ、日本に運んで組み上げられた中国禅宗様式の山門や「子育て地蔵」として地域の信仰を集める六地蔵などがあり、見所も多い。

蔵王町の高台にある「賢忠寺奥之院」には勝成公が念持した不動明王が祀られており、身体堅固、学業増進、開運などにご利益があるとされる。境内には鐘つき堂があり、大みそかには参拝者が除夜の鐘をつくことができる。先着108人には干支の根付が授与され、毎年多くの参拝客でにぎわう。

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