• ご朱印帳のすゝめ

高野山 真言宗 地福寺

高野山 真言宗 地福寺

 瀬戸内海と、電車が見渡せる笠岡市の小高い丘に建つ地福寺。その昔、笠岡港沖に光るものがあり、漁師の網にかかったのが石仏の「地蔵菩薩像」。二童子を従え、宝珠を抱えた地福寺の本尊である木造の菩薩像の胎内仏としてまつられている。石仏の地蔵菩薩は弘法大師の作と伝えられる。本尊は秘仏だが、年に一度8月13日の地蔵盆(ろうそく祭)にのみご開帳される。
笠岡はかつてその大部分が海で、川から流出した土砂の堆積と地殻の自然隆起により陸地となった。古城山は昔、吸江山と呼ばれ、今の地福寺の地にはかつて多くの山吹が咲き誇り「山吹の丘」と称されていた。
明応三(1494)年4月、連歌師の飯尾宗祇が地福寺を訪れ、「山吹を心の色かほととぎす」という句を詠んだ。江戸中期から後期にかけての歌人・鴨祐為がその俳句の頭文字をすえて詠んだ一七の句を記した文書が、一時は行方知れずとなったものの、数奇な巡りあわせを経て、現在も同寺に残る。
本堂の欄間には七福神が彫られているが、同寺では寿老人にかわり、親孝行を説く神様の猩々が彫られている。

境内の樹齢400年の見事なミヤマビャクシンの木も見所の一つ。

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