• 歴史散歩

菅茶山の生きた時代 江戸時代の教育施設 廉塾

廉塾・菅茶山旧宅

No.321

 菅茶山(1748~1827)は、安那郡川北村(神辺町)で生まれました。18歳で家督を継ぎますが、学問を志して京都へ遊学し、古医法と朱子学を学びます。
帰郷後の1775(安永4)年頃には、自宅の中に私塾を開き、後に金粟園と名付けます。1792(寛政4)年頃になると塾生が増えたため、北東に学舎を建て、黄葉夕陽村舎を開きます。
1796(寛政8)年には私塾では将来的に経営が安定しないため、福山藩付属の郷校に願い出て、塾の存続を図ります。これ以降、塾の名称は廉塾、正式には神辺学問所と呼ばれるようになりました。塾生は福山藩をはじめ全国に及び、茶山の名を慕って多くの塾生が門をくぐりました。
茶山は江戸時代後期を代表する漢詩人・儒学者として全国に名を馳せましたが、廉塾を特色づけるのは教育者としての茶山です。
江戸時代に盛行した私塾は全国に1,500もあったといわれますが、廉塾はその中で当時の面影をよく残しています。当時の教育施設と旧宅とともに茶山の息遣いを今に伝える貴重な特別史跡※です。
今年度からはこの施設を保存して活用するため、整備事業がはじまります。

※特別史跡とは、国史跡のうち学術上の価値が特に高く日本文化の象徴たるものを指し、国宝に相当します。全国で62件、県内では厳島と廉塾の2件のみです。

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