イコーカ山古墳

瀬戸内の水運4 市史跡イコーカ山古墳

古墳時代、沼隈半島西側の松永湾では少数の大型古墳が湾を囲んでいましたが、東側の津之郷谷では周辺の丘陵に数多くの小規模な古墳が築造されました。
その中で、比較的大きな古墳がイコーカ山古墳です。海が深く入り込んでいた津之郷谷の最奥に位置しています。市史跡に指定された1963(昭和38)年頃は、開発により全国的に遺跡が消えた時代です。イコーカ山古墳も土取りにより裾を削られ、墳丘の形や大きさがわからなくなりました。
さらに2018(平成30)年7月豪雨では北側以外ののり面が崩れ、土砂が南側の小道をふさぎました。応急的な保護措置の後、2019(令和元)年に保存方法を考えるための発掘調査が行われました。
遺跡保護のため調査は最小限に留められましたが、墳頂部で竪穴式石室が確認されました。長軸2.5m、短軸1.2mの長方形で、長軸は津之郷谷の海を向いています。また、戦後の写真からかつての地形を3Dで復元したところ、円墳であることが裏付けられました。
竪穴式石室を持つ円墳といえば、松永湾北東部に県史跡松本古墳があり、立地も似ています。東西を繋ぐ幹線道が足元を通り、お互いを意識するかのように相手地域に最も近い位置に造られているのです。両古墳はそれぞれの海を見守るだけではなく、陸路の出入口を押さえる役割も担っていました。
地域の人々により守られてきたイコーカ山古墳は、有力者の墓である以上の意味を持つ重要な遺跡です。
市史跡イコーカ山古墳(南から)
発掘調査により確認された竪穴式石室(南東から)
戦後の写真から復元されたイコーカ山古墳周辺(南上空より)