津之郷谷

瀬戸内の水運2 津之郷谷

かつて津之郷谷には東側から深く海が入り込んでいました。低地には集落が形成され、南北の丘陵上には多くの古墳が築造されます。海に面した集落は、潮待ちの港として栄えたと伝えられてきました。
弥生時代後期にはすでに中国文化が波及していました。1943(昭和18)年、津之郷小学校で工事が行われた際に中国の貨幣「貨泉」が出土したのです。しかし戦後行われた周辺の発掘調査では、港の痕跡を見つけることはできませんでした。
その一端を掴むことができたのは2015(平成27)年、湯伝神社がある丘陵の南側で行われた湯伝遺跡の発掘調査です。時代は弥生から古代、物資を集積する港を持つ遺跡と考えられています。古代の官衙(役所)跡が確認され、土師器の皿や緑釉陶器の椀等、多様な遺物も出土しています。
同時代には和光寺(現・田辺寺)が創建されており、朝鮮半島を経て伝来した仏教がすでにこの地に根付いていたことを示しています。東西の物資や文化が行き来した「津宇郷」※1は、今考える以上に国際色豊かに賑わっていたのかもしれません。
2016(平成28)年には湯伝遺跡の南西約500mの丘陵で夕倉遺跡※2が確認されました。芦田川中洲にある草戸千軒町遺跡と同じ中世の集落跡です。
弥生・古墳・古代・中世。各時代の遺跡が揃う津之郷谷に今後も注目です。

※1:平安時代中頃に成立した『和名抄』に記されている郷名
※2:湯伝遺跡と夕倉遺跡は現在道路になっており見学はできません

 

北から見た津之郷谷

津之郷谷

湯伝遺跡 土師器の皿出土状況