地下に眠る築城時の遺跡 入川(いりかわ)

昨年秋,福山駅から南東に延びる市道福山駅南手城幹線の道路舗装工事中に,福山城に関連する石垣が発見されたと話題になりました。城の外堀と瀬戸内海をつなぐ入川の護岸石垣です。石材が抜き取られていた部分もありましたが,合計約57mの左岸の石垣が現れました。

第2次世界大戦後に区画整理で姿を消して以降,その様相がはっきりとわかる形で発見されたのは初めてです。古い写真には残っているものの,埋め立てられた際の記録は残されていませんでした。

市では古地図などを使って検討を重ね,入川沿いで行われる道路やインフラ等の整備の際には,事業者に協力をお願いし,埋蔵文化財担当職員が工事に立ち会ってきました。今回石垣が発見された場所より海に近い調査地では,今回と同じ深さに石垣は確認されず,戦災で焼けたがれきなどが出土しています。

護岸石垣は3m以上の高さがあると推定されますが,この度確認されたのは上部1m程でした。このわずか数段の石垣の中に築かれた時代を特定する印がありました。それは石材を切り出す際に残る,矢穴と呼ばれる楔(くさび)を打ち込むための穴の跡です。矢穴は時代によって大きさや形に特徴があります。今回の矢穴には,天守北側に保存されている旧天守礎石の矢穴とほぼ同じ大きさ,形のものがありました。旧天守礎石は1622(元和8)年の築城時のものなので,同じ矢穴を持つ入川の護岸石垣も築城時に築かれたと考えられます。

現在発見された石垣を見ることはできませんが,護岸ライン(左岸)を道路上にピンで表示しています。

 

 

 

 

 

 

 

<松浜町一丁目北交差点付近で発見された石垣>