中央公園

福山藩校 弘道館と誠之館

No.322

 江戸時代後期になると社会情勢の変容に対処できる人材が求められ、幕府をはじめ諸藩において文教政策が真剣に取り組まれるようになりました。
1786(天明6)年、福山藩においても藩士の教育を目的として城西の堀端に、阿部家4代藩主である正倫によって藩校「弘道館」が創設されました。
当時は全国的に大飢饉が起こり藩財政も窮乏し、百姓一揆も頻発した時でした。しかしそんな中でも学問に注目して多くの学者を登用し、弘道館において儒教精神による綱紀粛正を図ったのです。
続いて5代藩主正精も江戸詰め藩士のために藩邸内に丸山学問所を開設し、従来の儒学・国学に限らず、洋学・天文学などに及ぶ広範囲な学問を奨励しました。
7代藩主正弘は外国の圧力に対処できる人材養成を目的として1854(安政元)年、弘道館を廃止し、江戸と福山に藩校「誠之館」を建設し、翌年、西町道三口(現霞町)に開校。国学・洋学・医学・数学・兵学などを学科に加え、試験制度を取り入れた仕進法を実施するなど、正弘の採用した革新的な教育制度は全国にも類を見ないものでした。
10代藩主正桓は1868(明治元)年から一般庶民にも入学を認めるなど新時代に即応する改革を行いました。
1872(明治5)年、藩校としての使命を終え、誠之館は閉校を迎えることになります。しかし、その精神は啓蒙所へと引き継がれ、管内全域に教育が普及していくことになるのです。

誠之館の玄関(明治中期)  ※現在、福山誠之館高等学校へ移築

中央公園には誠之館跡地の石碑があります。