塩崎神社

東深津町の潮崎神社

No.320

 1644(正保元)年、水野勝成は王子山沖から手城の梶島山まで一直線に干拓のための潮止め堤防(千間土手)普猜を始めますが、大潮や暴風などで堤防が決壊し普請はたびたび中断します。
普請の中止も考えますが、深津村(現東深津町・西深津町)の長老から勧められて才ノ尾(現塩崎神社西側の三重山)の大明神に安全祈願したところ決壊はなくなりました。1646(正保3)年、勝成は干拓の成功を喜んで大明神を麓に降ろし、塩崎大明神として塩崎神社に祀りました。
塩崎神社には勝成を祀る聡敏神社があります。この神社は勝成と深津村の縁をしのんで両社八幡宮(福山八幡宮)にある聡敏神社から分社されたものです。
塩崎神社の催しの一つに深津時代行列があります。かつて水野家参勤交代の行列を先導した奴は深津村から集められました。その奴姿の勇壮さを称賛した勝成は、その後の参勤交代には深津村にお呼びをかけたといわれています。その縁で廃藩置県後の明治時代初期、福山城内にあった行列の装備一式は深津村に払い下げられ、戦前から大名行列が再現されました。