- 歴史散歩
実はつながりがあります 新元号「令和」と「鞆の浦」
むろの木歌碑
新元号「令和」は「万葉集」の大伴旅人が詠んだ「梅花の歌三十二首」の序文を出典としています。
政治家で歌人でもあった大伴旅人は当時権力を握っていた藤原氏に次第に圧迫され、64歳という高齢の身で奈良の都からはるばる九州の大宰府に、大宰帥(大宰府長官)として、妻・大伴郎女を伴って赴任します。しかし赴任後間もなく最愛の妻を失い、その代償のように歌を詠むようになりました。
730(天平2)年、旅人は九州各地の高官を大宰府の自宅に招いて梅花の宴を催しました。
「令和」はその宴の中で詠まれた梅花の歌の序文「初春令月、気淑風和(初春のよき月、気はうららかにして風は穏やか)」に見られ、美しい景色をたたえる優雅な漢文です。
万葉集に遺された旅人の歌は70首以上あるといわれ、そのほとんどが大宰府赴任後のものです。
梅花の宴が行われたのと同じ年に大宰帥を兼任したまま大納言となった旅人は、念願かなって帰京します。しかし途中の鞆の浦で、旅先で亡くなった妻を思い出し、嘆き悲しんで歌を詠みます。
我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そなき 大伴旅人(「万葉集」巻三、四四六)
※(大宰府へ赴任する際)妻と一緒に見た「むろの木」は、今も変わらず鞆の浦にあるのに、妻はこの世にいない
都へ帰った後も旅人は妻をしのぶ歌を詠み、翌731(天平3)年7月に亡くなります。
市営渡船場の向かいにある対潮楼の石垣の下に、旅人が詠んだ「むろの木」歌碑があり、「むろの木」は鞆の浦の歌枕となっています。
INFORMATION基本情報
名称 | むろの木歌碑 |
---|---|
住所 | 〒720-0201 広島県福山市鞆町 |
※最新の情報とは異なる場合があります。
ご了承ください。
同じカテゴリーの記事
-
未来に歩み出す姿 阿部正弘の像
-
地下に眠る築城時の遺跡 入川(いりかわ)
-
鉄壁の防御の構え 福山城天守北側鉄板張り
-
築城時の天守を支えた 福山城旧天守礎石
-
福山城東側の威容を語る 東坂三階櫓(やぐら)跡と多聞櫓跡
-
瀬戸内の水運5 中・近世山陽道
-
今も水を湛える 黄金水
-
築城当時から残る本丸の正門 福山城筋鉄御門
-
瀬戸内の水運4 市史跡イコーカ山古墳
-
火災から文化財を守る 文化財防火デー
-
今も時を告げる 福山城鐘櫓
-
福山城の歴史を見守り続けた 城内の樹木
-
瀬戸内の水運3 御領遺跡
-
瀬戸内の水運2 津之郷谷
-
二度の金属供出を免れた「明圓寺銅鐘」
-
瀬戸内の水運1 松永湾を見守る首長の墓
-
葛原家と縁のある 福寿会館
-
近世水道の分水界 本庄村二股
-
福山城入川の存在を示す 名もなき橋
-
かつて海であったことを物語る蛙岩
-
邪鬼を払う 福山城の鬼門守護
-
今年の干支牛を祀る 大山社
-
夜空を照らす豊穣への祈り お月さん
-
疫神・悪霊を防ぐ 塞神