福山城

入封400年記念シリーズ(5)港湾の整備

No.312

 福山城の特徴の一つは、城下町の形成とともに外堀に舟入が設けられ、外堀と福山湾が入川(入江)と呼ばれた運河でつながっていたことです。
福山湾は潮の干満の差が大きいため、外堀も大潮の干潮時には空堀となります。このため、堀の中に常に水を貯めて城を守る外堀の機能を果たす「築切」と呼ばれる樋門が付いた土手が後に造られます。
明治の廃城令後も入川は人々の生活に利用されますが、昭和の初め頃から徐々に埋め立てられて民家が建ち並ぶようになります。福山城から市立大学付近まで斜めに延びる地形はその痕跡です。
船町・御船町・入船町などの町名が入川沿いに残っているのも、福山湾から入川を通って外堀まで船が入っていたことを物語っています。
また、入川には天下橋(本橋)と木綿橋(新橋)が架けられ、橋の間にある中番所が船の出入りを監視していました。橋の名前は水野勝成が天下様(豊臣秀吉)に京都の伏見城からもらい受けたことに、橋のたもとで木綿市が開かれていたことにそれぞれ由来しています。
天下橋・木綿橋はきたはま通りのバス停に名前が残り、天下橋・木綿橋の碑も立っています。