• 歴史散歩

入封400年記念シリーズ(11)戦前の福山城と福山空襲

福山城

No.318

 近世最後の城として完成し、その築城術を誇る福山城。天守閣は1931(昭和6)年に国宝に指定され、1933(昭和8)年には伏見櫓、御湯殿、筋鉄御門も国宝に指定されました。
当時の福山公園(現福山城公園)の天守閣南広場には猿・孔雀・小鳥・ハトなどの小動物舎や茶店、瓢箪池、藤棚が、天守閣北側には体育協会のテニスコート2面がありました。1936(昭和11)年頃には五千石蔵跡地に海産物商人である安部和助が別荘(現福寿会館)を建てています。
1941(昭和16)年に始まった太平洋戦争の末期、全国の各都市が米軍の空襲を受けていました。福山市は1945(昭和20)年8月8日の夜、B-29爆撃機から空襲を受けます。市街地の約80%が焼け野原となり、犠牲者355人、被災者47,326人、焼失家屋10,179戸を数えました。
福山城天守閣にも焼夷弾が命中し、最上層から火を噴き瞬く間に紅蓮の炎に包まれ、焼け崩れて灰燼に帰しました。劫火により葦陽館(旧月見櫓跡)と御湯殿も焼失しましたが、伏見櫓や筋鉄御門、鐘櫓は無事でした。
空襲による火災の高熱を受けたことで表面が剥離し赤みを帯びた花崗岩が、二之丸と天守台の石垣の中には見られます。これらも現在に残る戦争の遺跡といえるでしょう。
空襲後の福山駅

葦陽館跡と市街地

写真は人権平和資料館提供

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